きのうなにしてた

忘れたり忘れられたり、人は哀しい生き物

藤子不二雄A先生の思ひ出

こういう見出しだと、まるで交流があったかのように思われるかもしれないが、お会いした事は一度もない。

なのに何を偉そうに、と思われるかもしれないがこればっかりは仕方ない。


ただただ、自分を自分たらしめる上での重要人物が居なくなった事に、言いようのない喪失感を感じざるを得ないのである。

その喪失感を埋めるため、心を少しだけ整理するために、僭越ではありながらまとめてみようと思う。

 

「忍者ハットリくん」「怪物くん」「プロゴルファー猿」、そして数々のクリエイターが「影響を受けた一冊」と公言する「まんが道」で知られる漫画家・藤子不二雄A先生がお亡くなりになった。

 

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学生時代、当時の自宅(練馬)とキャンパス(江古田)から近かったのもあり、よく通った「松葉」。

(「まんが道」で満賀・才野両少年はじめとした「トキワ荘」の面々が足繫く通った中華料理店)

松葉はラーメンも美味しいですが、個人的にはつけ麺がイチオシです。

 

知らない方へ申し上げると、既に鬼籍に入られた「ドラえもん」で知られる藤子・F・不二雄先生と

藤子A先生は共に富山出身の幼馴染で、当初は「藤子不二雄」名義でコンビを結成。

オバケのQ太郎」なんかはお二人の共作と言われている。(間違っていたらごめんなさい)

 

昭和の終わりにコンビを解消されるまで、同じ藤子不二雄名義ではありながらも、それぞれ別に上記のような代表作を描かれてきたお二方。

 

両先生の作品とも大好きなのだが、個人的にA先生の、ある種露悪的とも言えるほどに人間の本質を抉るような視点で描かれた作品の数々に心打たれ、

学生時代読みふけっていたのであった。

 

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ブラックユーモアに溢れた珠玉の短編の数々は必見。


かれこれ15年ほど前、日大芸術学部在籍最後の年。


放送学科の学生だった僕が卒業制作の題材として選んだのが、大好きなA先生。

A先生のドキュメンタリーを撮るため、色々調べてみるもなかなか連絡先がわからず。

今ほどIT化が進んでいなかった当時、ネットにもこれといった情報はなかったものの、なんとか藤子スタジオの住所を調べ上げ、拙い企画書めいたものを送る事に成功。

ノーギャラでの取材依頼、素人感全開の企画書の送付…若さ故の無知とは言え、

大変失礼な事をしたと今となって反省しております。

この場を借りて改めてお詫び申し上げます。

 

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今の日芸はこんな綺麗なキャンパスに。

僕が在学していた時は、丁度工事中だった。f:id:watankii58:20220410180209j:image


当然ながら断られてしまい、目論見は水の泡に。(卒業は無事にできました!)

ダメもとで送りつけた企画書だったが、いざ正式にお断りされると、それはそれでショックなのであった。

若者特有の万能感、それを否定された感覚とでも言えばいいのであろうか。


しかしながら、お断りの手紙にはA先生のマネージャー(A先生のお姉様)からの超絶達筆なご丁寧メッセージが添えられており、合わせてA先生直筆サイン入りの文庫版「まんが道」も同梱されていた。


※「まんが道」→藤子A先生の代表作の一つであり、自伝的漫画作品。

戦前~戦後にかけて、漫画家を志す2人の少年(藤子不二雄)の成長を描いた物語。

私が現在の職業=漫画編集者を志すきっかけとなった作品でもある。

 

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まんが道」続編の「愛…しりそめし頃に…」も必読。

ちょっぴりアダルティーな世界観で描かれる夢追う若者達の姿に心動かされる。

「青春」「エバーグリーン」という言葉を体現したかのような表紙がとにかく最高。


そもそも返信する義務も必要もない、謎の小僧からの無茶依頼だったにも関わらず、藤子A作品を愛してくれている事への感謝と、卒業制作という事でなんとか依頼を受けたいが、A先生として依頼に応える事ができない理由、そして私の将来を応援する内容の

文章が綴られており、大変大らかなお心をお持ちのお優しい方だなぁ…と。

断られたにも関わらず大感激したのを覚えている。

(手紙の冒頭「何度か電話したが出られなかったので手紙を送った」とあり、本当今更ながら当時の自分の失礼っぷりに震えるばかりである。知らない番号だから出なかったのだろうが…)


というか常識的に考えて、自分にとって何らメリットがない、この名もなき若造からの依頼を断るにあたり、ここまでの丁重な対応などあるであろうか。


後々に感じた事で、これは自分なりの解釈ではあるのだが、ある種の夢を追う若者に対し何かエールを送りたい、そのようなお気持ちからであったのだろうかと。

極めて自分に都合のいい解釈ではあるが。

 

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F先生の「ポコニャン」に対してのA先生の「ビリ犬」。両者の作家性の違いにハッとさせられる名作。


あと今更ではあるが、この時送りつけた企画書、取っておけばよかったなと。

素人感満載、と言ったものの正直手に取ってもらえる自信のある企画書であった。

拙いながらも、企画の見せ方やドキュメンタリーとしての売り所の独自性など、読んでもらえさえすれば、多少は検討してもらえる内容の企画書であった…ハズ。

(生意気ですみません)


この時頂いた文庫版「まんが道」と手紙は、生涯の宝物である。

 

「漫画家漫画」って何で気になってしまうんだろう、と思うのだが、恐らく様々な作家の成功、挫折、嫉妬の気持ち等…がむしゃらにもがき続けてきたその姿に、いつの日か自分が失ってしまった若き日の「夢追う姿」をダブらせてしまうからなのだろう、と思う。

 

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上に挙げた3作品はどれも最高かつベクトルが全く違う「漫画家漫画」。

機会があれば是非一度手に取って欲しいです。


就活で受けた前職の版元の採用面接では、この卒業制作のエピソードを披露し、それが決め手となったのかは不明だが、めでたく入社。

入社した際、会社役員から、「ゴルフコンペでA先生と一緒になった時に、例のドキュメンタリーを依頼してきた学生(私)が入社したという話をしたところ、『あの学生、同じ業界にきたのか』と大層喜んでおられた」との話を聞いて、勝手に不思議な縁を感じたものであった。


いつかどこかでお会いできた際には、学生時代の無礼のお詫びと、この業界へと導いてくださった御礼を直接お伝えしたいと思っていたのだが…

無情にも叶わず。


僕が今いる日本の漫画業界の草創期から長きに渡り活躍した、偉大なる先達の訃報にただただご冥福を祈るばかりであります。


藤子A先生の作品に出会っていなければ今の自分がいなかったかも、と言っても過言ではありません。


自分の可能性を信じ、がむしゃらに漫画を描き続けてきた「まんが道」の登場人物に少しでも近づけるよう、僕も努力して参ります。


「なろう! なろう! 明日なろう!! 明日は檜になろう!!」


藤子不二雄A先生のご冥福をお祈り申し上げます。

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